2024/01/07更新しました。
おしらさまは東北地方の古い民間信仰です。
馬と娘の悲恋物語である、馬娘婚姻譚(ばじょうこんいんたん)が有名で、男神と女神の二体で一対。
青森のおしらさまについてお伝えします。
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おしらさまとは?
東北に伝わる民間信仰のひとつ。
おしらさまは主に家の守り神とされてきました。
家の守り神のほか農業の神、桑の神 、さらには眼病に霊験があるとも伝えられています。
津軽地方は昔、トラホームという目の病気から失明する人が多かったのですね。
男神と女神の二体で一対。
木の棒をご神体として、頭部には馬や女性の顔が描かれたり彫られたりしています。
地域によっては、縄文時代の石棒がご神体のこともあるそうです。
馬と娘の悲恋がその縁起。
元々の伝承は中国から伝わった説話ですが、中国の説話はあまりロマンチックな話ではないようです。
利己的な姫が、自分の都合で馬を利用するストーリーなのです。
国民性の違いでしょうか。
日本に伝わる馬娘婚因譚(ばじょうこんいんたん)は馬と娘の純粋な気持ちが哀れ。
互いに恋い慕うものの、親によって引き裂かれて、馬は殺されてしまい、娘は嘆き悲しむ。
『津軽のイタコ』笹森建英著には、イタコによるおしらさまの祭文が載っています。
「津軽のイタコ」著者の笹森先生は大学の教授。
本の中でイタコの祭文の音調についても、解説しています。
青森のおしらさま
津軽では盲目の女性が口寄せをする『イタコ』がオシラ祭文を唱え、遊ばせました。
祭文は、ロマンチックで悲劇の恋物語を美しい日本語で語ります。
青森のおしらさまは、頭からすっぽり布で包まれる包頭型です。
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悲恋物語
おしらさまの物語は、百姓の娘が馬と恋におちて、それを知った父親によって馬が殺され、嘆き悲しんだ娘 が、馬の首と共に天界に昇り去るというもの。
蚕のいわれは、天に昇った娘が、庭の臼に馬の顔をした虫を授けるから、大切に育て、暮らしの手立てにしてほしいと父親の夢枕に現われ告げ、それがお蚕だったとのこと。
昔は津軽でも、さかんに養蚕がされていたそうです。
私が伺ったおしらさまをお祀りするお宅は、田舎館村の大きな農家。
あでやかで豪華な「オセンダク」を纏ったおしらさまがありました。
「オセンダク」の意は洗濯された着物。
おしらさまにはメリンスや木綿、あるいは画像のように、金彩の布が用いられます
古くからお宅に伝わりますが、元々は集落のおしらさまで百万篇の大数珠とともに、お預かりしているそうです。
とても大切にされていました。
毎日、「どうぞ家族と集落をお守りください」と、手を合わせ、毎年オシラ講を行うそうです。
オシラ講は、霊能者とされるカミサマを呼んで、神降ろしをし、ご宣託を授けてもらう儀式です。
津軽でおしらさまをお祀りするお宅では毎年2月に、集落 の福祉センターで地域の方たちと講を行うほか、5月には弘前市南西部にある久渡寺で開かれる王白羅(おしら)大祭へもお参りしていました。
久渡寺にて、2、3年に一度の割合で『オセンダク』を取り替え、前の着物はご利益があるので持ち帰り、お守りの袋などに再利用するとのこと。
津軽のおしらさまはきらびやかな衣装に、ゴージャスに首に鈴や飾りを幾重にも巻いています。
門外不出で、撮影を禁止するお寺さんが多い。
おしらさまをお祀りする津軽マダムたちは、まるで自分の分身であるかのようにきれいに飾り付けて、日々、祈る。
素朴な信仰が、いまも脈々と息づいている青森です。
平川市の蓮乗院に、たくさんのおしらさまがお祀りされていると聞いています。
まとめ
遠野地方のオシラ神は、貫頭型で素朴な衣装ですが、津軽ではきらびやかにお祀りします。
農業や養蚕、家の守り神であるおしらさま。
平川市の蓮乗院や弘前市の久渡寺にお祀りしていることなど、おしらさまについてお伝えしました。
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