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リンゴ手籠・三上幸男さんの手作り・岩木山のふところ

まるで手品を見ているようでした。
たった数本の竹材から、 するすると籠が編まれてゆく様子は。
指先から六角形の網目が次々と繰り出して、それがよどみなく、おなじ間隔で編まれるのです

根曲竹は、青森に多く自生する竹。
その竹材で編まれたリンゴ手籠は、かつて農家の必需品でした。


リンゴ手籠
 

いろんなデザインがありますが、手つき籠が主流です。
弘前市愛宕(あたご)地区 は、岩木山のふもとの長閑な農村です。
田んぼとリンゴ園と澄んだ水がゴーッと音を立てて流れる小川があって。

120軒ほどあった家のうち、竹籠を編まないのは坊さんと学校の先生だけ。
そう言われたほど盛んに作られた時期がありました。
プラスチックがあまりなかった時代です。

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リンゴ農家の必需品だった手籠


この道60年という三上幸男さんにお目にかかりました。
日当たりのよい自宅の一室が工房で、奥様とふたり編んで見せてくれました。




「竹籠は弾力があって、軽くて丈夫。リンゴの持ち運びに重宝され、10万個も各農協に納めた時代があります。最盛期には私は村の人たちが作った手籠を毎日あつめて納品する元締めをしていましたが、もちろん私も14歳くらいから作っていましたよ」

子どものときから大人の編む様子を見てきたから、誰に教わらなくても自然に覚えてしまったとか。
背筋がぴんと伸びて、身のこなしがしなやかで、とても80代に見えない三上さん。

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トラックで行商



手籠はリンゴだけでなく、ホタテやイワシ漁の持ち運びにも便利ということで、
トラックに積んでフェリーで津軽海峡を越え、北海道に売りに歩くことも数十年。
「スピーカーで流しながら、釧路の漁師町にも行ったものです。当時はねえ、津軽の植木屋やござ屋とよく顔を合わせたな、礼文島利尻島でも一緒になったことがある。手仕事で製品を作り、足で売りさばく。そんな時代だったから」
手業とともに、語り口もよどみなく。
いろんな所へ出向いたからでしょう。
どこか都会的。というのは訛っているのに田舎臭さを感じさせない、洗練された語り口なのです。
リンゴ手籠のトップセールスマンとしての姿をかいま見た気がしました。

農家と違い、昼は在宅している漁業者のほうが商売になったそうです。

いまはインテリアや買い物籠、民藝品として人気が高くなりました。

竹材は、家族総出で10月に。
「昔は岩木山でも良い竹が採れたけれど、最近は谷底でないと長い竹がなくてね。無理すると危険だから、八甲田の山中まで行く。まあ、夏場は近くの所から新しい青竹を使うけれどね」

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岩木山のふもとでは今も数軒でリンゴ手籠が作られています。
地元の材料で暮らしを立てた。
村にいながら若者が家族を持ち、生活を営む。そのことがごくふつうに出来たことを、
リンゴ手籠がそっと教えてくれます。

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