つがる時空間

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津軽のイタコについて、都会からやってきた映像クリエーターに聞かれた私は

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津軽の人はいまもイタコの口寄せに耳を傾け、亡き人の霊を慰めている。

都会からやってきた映像クリエーターは、素朴な昔ながらの津軽を思い描いているようでした。

若い雰囲気の男性でした。すらりと背が高く、黒いセーターを着て、それがとても似合う長髪の方。

風土に根差した精神世界

津軽・民俗・イタコ

津軽こけし館の達磨こけし・阿保六知秀工人作

4年ほど前のことです。イタコについて知りたくてわざわざ弘前を訪れたと言うのです。
「イタコですか……」と、私。
口寄せをしてもらった体験が一度、カミサマから宣託というか助言をしてもらったことも一度ありますけれど、そんなつたない経験を話したところで、津軽の精神世界を理解していただけるとは思えません。

ナイーブでデリケートな世界ですから、誤解されたり偏見を持たれたりしないよう、どう話しましょうか。

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イタコは、盲目の口寄せ巫女(みこ)で、仏下ろしの能力があるとされました。
津軽三味線で有名だった高橋竹山氏の妻・ナヨさんは、イタコでした。
田の草取りのとき、硬くとがった三番穂に目を突く怪我をして、平内町に住んでいたため小湊の医者にかかったけれど、良くはならず。眼科がなくて、内科など一般の医者だったとか。

それから視力が衰えているので琴の修行に小樽へ行くも、女中仕事がきつく、却って目は悪くなり、ついに眼球を摘出。

帰郷して20歳で、イタコに弟子入りし、住みこんでの修業をしましたが、たいへんな苦労をされたことが、佐藤貞樹さんが書いた『高橋竹山に聴く』にあります。
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画像は、イタコがもつ大玉の数珠に付けたとされる、獣の牙や爪。霊力を高めるため、古銭などを用いた例も。

1910年生まれの竹山氏は1998年に88歳で死去され、同い年だったナヨさんはその5年前の1993年に亡くなりました。

眼の病気が多い地域

竹山氏が目を悪くした原因は麻疹(はしか)をこじらせたためです。そのころ青森は大凶作に見舞われ、食うや食わずの人がたくさん出ました。医療にかかれないことは珍しいことではありません。

津軽地方は、怪我や麻疹のほかにも、目の病気にかかる率が高かったそうです。
サルケという燃料を聞いたことがあるでしょうか?
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つがる市木造館岡のベンセ湿原は、黄色いニッコウキスゲの群生で知られていますが、この辺りで昔、サルケと呼ばれた泥炭が採れました。

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周囲に山林がないため、薪がなく、サルケで暖を採り、厳しい冬を乗り切るのですが、煙害がすごい。ぶすぶすとくすぶり、部屋中に煙が蔓延するのだそうです。
 そのため目にしみて、目をこする。
 トラホームという眼疾にかかりやすくなりました。
 津軽の言葉に「めくされ(目腐れ)」というのがありますが、トラホームは目がただれ、角膜が傷つき、重症化すると失明。

イタコは福祉政策が整う前の時代に、盲目となった少女が生きる手段として、師匠の許で何年も修業して、ようやく「ゆるし」を得られてなることができるのです。

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おしらさまの「遊ばせ」の行事のとき、かつてはイタコが集まりましたが、今では高齢化しているためその姿はあまり見ることができないようです。

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研究書『イタコの誕生』は、南部地方の習俗を詳しく紹介していました。 

また、 弘前市在住の登山家・根深誠先生の御本は、読んでいるうちに不思議な世界へいざなわれる……。

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津軽のイタコは非常に数を減らして、いまはそうそう口寄せをお願いすることができない。

そういうことを私は大西さんにお伝えしたのでした。

2019年2月24日更新。  
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