つがる時空間

青森県弘前市を中心に弘前公園やねぷた、こぎん刺しを紹介

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【森山海岸・賽の河原】青森県深浦町にあるガンガラ岩の霊場

青森県秋田県の県境に、岩崎村があります。
いまは合併して深浦町になりましたが、日本海を望む海辺の村です。

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象岩
航海の安全を祈願し、
弁天様の社があります。

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森山海岸

リゾート列車『しらかみ号』に乗ってみたくて、
弘前駅から乗車したことがあります。
そうして、2004年頃、 森山海岸を訪れました。

巨大なガンガラ岩に洞窟があって、小舟で遊覧できます。
でも、その日の目的はガンガラ岩の頂上にある賽の河原
ちょうど大祭の日でした。

ガンガラ岩へ通じる小路の入口に森山旅館があって、そこから20分も歩くでしょうか。
祭りとあって、カラオケが鳴り、茶粥のふるまいも。
村の人たちに混じって、私のような観光客もいます。
緑の濃い林を抜けて、登り坂を行きました。

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着いてみると、ガンガラ岩の頂上からの眺めは、
素晴らしいものでした。
切り立った断崖が海にすとんと落ちて、
頂上はそんなに広い面積はありませんが、
海の向こうにウェスパ椿山が望めます。
晴れた空に碧い海、潮風に頬を撫でられて。

「あんまり縁コさ、行けば駄目(まいね)よ。落ちるはんで」
 私に声をかけてくれたのは、お参りにきていたお婆ちゃんでした。
小柄な品の良い感じの方で、旦那さんであるお爺ちゃんと一緒。
70代半ばくらいのご夫婦です。

頂上の中央に賽の河原の小さなお堂があって、
たくさんの方がお参りをして供え物をしています。
私も手を合わせました。
「あんた、どごから来たの?」
ふいに声をかけてくれたのは、
話好きなお婆ちゃんでした。

老夫婦の息子さんは弘前市に住み、
孫もいるのでちょくちょく行くのが楽しみと、
少女のような可愛らしい笑みを浮かべます。
それから、リゾート列車ができたのは良いけれど、
地元の駅を素通りするので不便だとか、
お爺ちゃんは長年に渡って出稼ぎをしたことなどを話してくれます。

「きれいな景色ですね」と私。
「んだべ。断崖が連なっているから。もう何年前になるべ、むこうの崖から飛び降りた男の人がいるの。なんでも会社の金を横領して、ここへ辿り着いて、どうにもならなくて、岩の上から跳ねたのせ」
吸い込まれそうなくらい、深い藍色の海でした。波が岩に砕け散って、白い飛沫ができては消えて。
「あんた一人で来たそうだけど、もし電車に乗り遅れたら、うちを訪ねておいで。泊めてあげるから」
見ず知らずの私になんと親切なことでしょう。
でも、女のひとり旅――もしかしたら自殺志願者に見えたのかもしれません。
さっき、崖下をのぞきこんだし。

「ありがとう、電車に遅れないように乗りますよ」と、優しいお婆ちゃんと別れて、来た道を戻ります。

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その坂を下る途中で、下のほうに白いテントが張ってあるのが見えました。
イタコの口寄せをしていました。
私は、すこしその場にたたずんで眺めました。
痩せた小柄なイタコが黒い大玉の数珠を揉みしだいて、傍らに神妙に耳を傾けるお客さんが見えました。
それは私がイタコ市を見た最初でした。
ひとりきりのイタコ市でした。

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津川武一著『巫女 イタコ 神憑りのメカニズム』に、
1989年当時のイタコをしている人たちの人数と年齢を調べた結果があります。
津川武一氏は弘前市にある健生病院の院長をされた医師。
文学者の顔もお持ちでした。

【現在津軽で生きているイタコは、約二十人です。
そのうちで最高齢のイタコは八十六歳、一番若くて五十八歳です。
この二十人のイタコには現在、一人の弟子もいません。
したがって、生きている二十人のイタコが死んでしまうと、
津軽にはイタコが一人もいなくなります】と、はじめのページにあります。

私がガンガラ岩に行ったのは、その本の出版から15年後。

そこで出会ったイタコは、鰺ヶ沢町にお住まいの、
本のなかで一番若いイタコと紹介された方のようでした。

坂の途中に立ち止まって興味深く、
口寄せの模様を見学させてもらった私ですが、
勇気がなくてそのときは仏おろしをしてもらいませんでした。
私が口寄せを体験したのは、
2008年に平川市の猿賀神社での大祭のときです。


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