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太宰ファン必見の『太宰治まなびの家』@毎月第3日曜は文学講座

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2019年9月22日更新しました。

弘前市御幸町にある『太宰治まなびの家』は入場無料で見学できるミニ文学館です。

旧制高校・現在の弘前大学で学んだときの下宿先が移築保存され、一般公開。

こちらでは毎月第3日曜午後2時~3時はゲストを招いて、太宰治文学講座が開講され、こちらも無料です。

太宰治まなびの家・文学講座についてお伝えします。

今さらだけれど、太宰治とは?

太宰治まなびの家

太宰治まなびの家・台所

亡くなって70年近いのに、根強い人気の文豪のひとりが太宰治です。

現在も文庫本が売れ続けていますし、芥川賞を受賞した又吉直樹さんは熱烈な太宰ファンですね。
太宰の代表作は『晩年』、『人間失格』『斜陽』などなど。

ちなみに私は『津軽』と『お伽草子』が好きです。
太宰は、現在の五所川原市(旧金木町)に1909年(明治42年)6月19日に、大地主の津島家の6男として生まれました。

本名:津島修治

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 名士の子どもとしてたくさんの使用人にかしづかれて育った太宰治

ですが、父は貴族院議員などを歴任したため、母も上京することが多く、 子守りのたけや叔母きゑに世話されながら育ちます。
旧制弘前高校に在学していた間、御幸町の藤田家に下宿。

当主の妻が金木町の津島家と遠縁だったことから太宰を預りました。

でも、下宿屋ではないんですね。IMG_7358

こちらの家は、造り酒屋として弘前では知られた富裕層の住宅。

太宰と年齢が近かった当主の息子がカメラで撮影したため、18歳当時の太宰の写真が残っています。

少しあどけなく、ナイーブな雰囲気が伝わる写真が10数枚ほど、当施設に展示中。

太宰治の生涯を追うと、1948年(昭和23年)6月13日に亡くなるまで、小説を発表し続けて、戦後はいち早く執筆を始めることができた作家でした。

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 太宰治は戦意高揚の文章を書かなかったため、戦争責任を問われることがなかった。 このことは、太宰の先を見通す目が非常に優れたものであったと言ってもいいでしょう。
流行作家の林芙美子などは、従軍記事を書いて戦後は批判されたからです。

ただ、太宰は女性関係が派手で、存命中は女性との心中事件などで紙面を騒がせました。

実兄で後に青森県知事になった津島文治は、たびたび叱責したそうです。

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多感な太宰治が過ごした藤田家

昭和2年4月から昭和5年3月まで過ごした弘前での暮らしは、太宰にとって刺激にあふれたものだったようです。年上の女義太夫の師匠について三味線を習ったり、同人誌を発行したり、そして、第一回目の自殺未遂を起こしたり。 IMG_7359

そのころの旧制弘前高校は左翼運動が盛んで、逮捕者を出しましたが、太宰は睡眠薬を多量に飲んで、養生中だったので、巻き込まれませんでした。
そして、卒業が決まると弘前を離れて、東大フランス文学科へ進学するのでした。

海外からの見学者も多い「太宰治まなびの家」

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さて11月20日の文学講座、講師は弘前ペンクラブ会員で太宰治まなびの家で解説員も務める瀬川紀雄氏。

真面目なお人柄で、主に詩や小説を発表されています。

弘前で戦後まもなくから活動を始めた『無名群』の同人。

瀬川さんは、

今年は海外からの見学者が多くて、英会話での対応が迫られました。こちらは太宰治が下宿した家ですが、とっさのことで、下宿を英語にするとなんだったけ? と出てこなくて。下宿を調べると『ロッジ』なんですね
海外において翻訳される日本人作家としてトップクラスの太宰治

外国人ゲストを迎えた折にふれて、そう語りました。

韓国では太宰治の全集が翻訳されて発刊され、全集が翻訳・発刊された日本の作家は太宰が初めてだったとか。

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 大学で哲学を修学された瀬川氏は、太宰と哲学についても講話しました。

参考になる話を拝聴でき、有難うございます IMG_7357

それにしても、中国や台湾、欧米からの来館者が増えつています。
城下町・弘前と太宰のつながりを知ることができる『太宰治まなびの家』は今後ますます注目されるのではないでしょうか。

太宰治まなびの家

住所弘前市御幸町9-1

開館時間午前10時~午後4時 

年末年始をのぞき年中無休。

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