弘前市の郊外にある久渡寺(くどじ)をお参りしたのは、5月15日。
長い石段を上ります。
足が痛くて歩けない方は、車で本堂へ行く小道が別にあります。
苔むした石段と天を突くような杉木立が、古い由緒を物語るお寺。
歴代藩主に庇護され、また丸山応挙が描いたとされる幽霊画を所蔵していることでも知られています。
久渡寺
弘前市大字坂本字山元
真言宗智山派寺院
津軽三十三観音霊場第1番札所
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オシラ講とは?
東北地方でお祀りしてきた『おしらさま』は家神や農業の神。かつては痛いところや患部にオシラサマを当てると病が癒える・眼病が治るともされました。
桑の木で作った男女一対の木像がご神体です。
馬娘婚姻譚(ばじょうこんいんたん)という、馬と娘の悲恋物語がオシラ祭文として伝えられてきました。
原典は中国ですが、中国の話は親の仇を討つために王女が馬を利用し、目的を遂げると王女自らが馬を殺す話。
日本は、長者の娘が馬と恋仲になって、それを知った長者が馬を殺して皮を剥ぎます。馬の死を悼んだ娘が泣き暮らしていると、馬の皮に包まれて天に上る。
そのとき娘は長者に「私は馬の顔に似たお蚕という虫を授けますから、大切に育てください」と言い残します。
そこから、養蚕の神でもある、オシラサマです。
『イタコとオシラサマ・東北異界巡礼』
加藤敬著の本より
この写真は1994年の久渡寺に集まった乳井集落の女性たち。
今から20年以上前ですね。
きらびやかな衣装でオシラサマを飾り、家神として大切にしている様子がうかがえます。
久渡寺のオシラ講は、住職のお経のあとで、イタコによる「あそばせ」が行われますが、現在は非公開。
県外からの参拝客も多いそうです。
久渡寺のオシラ講は毎年5月15日と16日。
家や村で祀られているオシラサマを久渡寺に持ち寄り、衣装を重ね着させ、印を押してもらい壇に並べます。
祈祷では護摩が焚かれ、オシラサマと参拝者を大幣でお祓いします。
住職が退場し、イタコがご詠歌やオシラ祭文を唱えるのが済むと、参拝者たちが家路に着き、前夜祭の15日から泊まり込みで参加の方もいます。
参考:おしらさまとイタコ>弘前市・久渡寺のオシラ講の習俗
こちらの写真は、岩木山赤倉山。
『イタコとオシラサマ・東北異界巡礼』加藤敬著の本よると、「青森のオカミサン相馬弘子女子は毎年、岩木山・赤倉山に信者とともに参詣登拝し、雪渓の上で背負ってきたオシラサマを遊ばせる。1998年」とありました。
赤倉山でいまもオシラサマを遊ばせているかは解かりかねますが、大石神社の一帯付近はカミサマと呼ばれる人たちの修行の場でした。
久渡寺の石段を上ると、左手に本堂がありますが、さらに奥に石段が続いています。
霊山のたたずまいを今に伝え、弘前藩の築城当時から領内の守りとして置かれた久渡寺です。
子どもの森があり、自然観察もできる久渡寺山。
標高は663メートル。
私は2回ほど登山したことがありますが、けっこう勾配はきつい。
登山のトレーニングに最適です。
春は山野草の花が咲き、野鳥の啼き声に耳を澄ますと、地域の魅力を再発見するでしょう。
頂上から市内を見下ろすことができ、半日で登頂して戻ってくることが可能。
さて、本堂でオシラサマに手を合わせて家内安全を祈り、長い石段を下りました。
久渡寺 御詠歌
補陀落や 恵みも深き観世音
罪もむくいも はらす宮だち
深浦町の円覚寺を見学したとき、弘前の久渡寺とともに円覚寺は檀家を持たないと、住職が話してくれました。
久渡寺は津軽三十三観音霊場の1番札所で、円覚寺が10番札所。
帷子(かたびら)を用意して、印を押してもらう参拝者は多いです。
江戸時代からの参詣道。
オシラサマをお祀りする家は、年を追うごとに徐々に減少しています。
2018年8月3日、更新しました。
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