1階がカフェバーと奥にギャラリー、2階はゲストハウスの弘前オランドへ出かけました。
アップルジンジャーを飲み、ギャラリーで開催された戯曲を読む会のイベント「秋田雨雀・骸骨の舞跳」に初参加。
黒石出身の劇作家・秋田雨雀の作品にふれ、感激したことをお伝えします。
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秋田雨雀
生まれ故郷の大大先輩、秋田雨雀は1883年、南津軽郡黒石町生まれ。
1962年に激動の79年の生涯を終えました。
黒石市の洋菓子店「シャロン」には「雨雀の里」というお菓子があるし、こみせ通りには雨雀の資料館も。
名高い劇作家で社会運動家として、活躍。
60年以上前に亡くなった雨雀は生前、娘夫婦を結核で亡くして、孫娘を慈しみます。
しかし、その孫は美しく聡明に成長したのに、たった10代の若さで、世をはかなんで自死。
最愛の肉親を喪う悲しみは如何ばかりだったでしょう。
骸骨の舞跳
作品を解説してくださった世良啓さんの資料「骸骨の舞跳」は、初版本。
す、素晴らしい。
「骸骨の舞跳」は、関東大震災をテーマにしています。
死者と行方不明者は約10万5千人。
日本の歴史のなかで最悪の自然災害。
地震発生時はちょうどお昼時で、七輪などで煮炊きをしていたため、火災があちこちで発生し、焼死した人は9万人以上だそうです。
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戯曲を読む会
雨雀の「骸骨の舞跳」を配役を替えて2回、読みました。
ショッキングな作品です。
関東大震災のショックや不安から、外国籍の方々が殺害されたというのです。
東北人は訛りが強いため、「こいつは日本人でない」と間違われ、殺されたケースも。
雨雀のほとばしる熱い気持ちが、伝わる作品。
すてきなポスター。
「骸骨の舞跳」は東日本大震災後、ふたたび評価され、いろんな劇団が公演しているそうです。
不滅の作品。
とても勉強になり、ありがとうございます。
寺山修司は青森が生んだ天才ですね。
弘前オランド
カフェでアップルジンジャーを飲んで、ほっと一息。
シードルも味わうことができます。
2階はリンゴ箱をモチーフにしたゲストハウス。
宿泊できるドミトリーとなっています。
まとめ
秋田雨雀の戯曲「骸骨の舞跳」を読みました。
私は避難民1の役で「傷が痛い」「住む家もなくなって、どうしたらいいの」と、悲嘆しながらも、自分よりも弱い者を糾弾するので、セリフを読みながら背中がゾクッとしました。
弘前オランドはカフェやギャラリー・ドミトリーを併設した複合施設。
戯曲を読む会の秋田雨雀『骸骨の舞跳」を中心にお伝えしました。
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