令和元年9月20日、弘前市にある太宰治まなびの家にて、「第7回さいたさいたおはなしの花」が開催されました。
絵本・桃太郎の朗読と、片山良子さんが太宰治の名作『お伽草子』に、なぜ桃太郎がはいっていないのかを解説。
日本のむかし話・桃太郎とお伽草子を執筆した当時の太宰治について、お伝えします。
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お伽草子
太宰治の作品のなかでどれが好きかと問われたなら、私は「お伽草子」と即答します。
それは落ち込んだ気分のときに読んでも、「クスッ」と笑えてしまうユーモアある作品だから。
旧制弘前高校(現在の弘前大学)で学ぶためで、当時の下宿先は太宰治まなびの家として一般公開されています。
見学は無料。
お伽草子は戦時中、太宰治が防空壕のなかで幼い娘に昔話を語り聞かせた体験から生まれた名作です。
- 瘤取り
- 浦島さん
- カチカチ山
- 舌切雀
太宰の文庫本はいまも増刷を続けています。
太宰ファンは絶えることがありません。
桃太郎
お茶室だった座敷で、イベントは開催されました。
旧藤田家は、造り酒屋の蔵元。
欄間の細工は光が映す陰影を計算されて、彫られたもの。
画像から、光の射し様がわかるでしょうか。
この日は、読み聞かせグループの皆さんが、いろんな「桃太郎」を紹介。
桃から生まれた桃太郎が、キジと猿と犬を家来に鬼退治に行く話ですね。
五味太郎、松井直、石崎洋司が書いた桃太郎は、それぞれ少しずつ違い、個性的です。
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片山良子先生の解説
学びの家は弘前ペンクラブに指定管理を受けています。
初代館長だった片山良子先生が、太宰についてお話されました。
太宰は、「さるかに合戦」と「桃太郎」を執筆する予定だったが、書くことを断念したそうです。
日本一の快男児である桃太郎や、敵をやっつける「さるかに合戦」を、兵隊になれなくて女や年寄りと一緒に防空壕で身をすくませるしかできない自分には、書くことができない。
そんな心理だったろうと、片山さん。
「病をおして、血を吐きながら、ユーモアある作品を書いたのは、家族のためだったでしょう」
子ども達は幼く、自分の治療費もかかるので、太宰は悩んだかもしれませんね。
戦後、「斜陽」はベストセラーとなり、数々の作品を発表しましたが、1948年に山崎富江と入水。
「山崎富江は戦争未亡人でした。懸命に太宰を支えて、治療費も随分と負担したようです」
片山先生が最後にそうお話されました。
まとめ
太宰治まなびの家にて開催された「第7回さいたさいたおはなしの花」をお伝えしました。
名作『お伽草子』になぜ桃太郎がないのか。
ナイーブな感性の持ち主だった太宰にとって、戦争はあまりにも胸痛むことだったにちがいありません。
そんなことを思いながら、もう一度「お伽草子」を読み返したいです。
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