2020年4月22日、夜10時30分に放送されたNHK総合『歴史秘話ヒストリア 』で、弘前城のことが詳しく紹介されました。
コロナウィルスの影響で弘前さくらまつりは中止となり、現在、弘前公園は封鎖され、園内に入ることはできません。
私が昨年までに撮影した弘前公園の写真とともに、歴史秘話ヒストリア「青森・弘前城の400年 最強防御の要はイカ!?」感想をお伝えします
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弘前城のすごさ
番組「歴史秘話ヒストリ」で、弘前城ほど江戸時代の城郭が良く保存されている所はないと、紹介されました。
二重に巡らせた濠と城門の警護は堅牢で、本丸を頂点に二の丸、三の丸と続き、崖地を利用した立地のため、敵が突破しにくい。
また、城の南側に禅林街を配して、いざという時の守りにしたことも解説。
弘前城は、敵と戦うための城であったと番組内で説明されたのです。
ところで、敵とはだれを指すのでしょう?
弘前大学の長谷川成一教授が登場し、「本州アイヌの蜂起に備えただろう」と話します。
また、津軽為信公と信牧公に国作りを指南した天海和尚(てんかいおしょう) は、西の有力大名を抑えるためには、北の安定を図るのが肝要と、幕府に注進しました。
徳川家康の養女、満天姫(まてひめ)は天海和尚が取り持って、二代藩主の信牧公へお輿入れしました。
天守再建
もともとは五層の天守でしたが、落雷により焼失。
現存の天守は、9代藩主の寧親公のとき幕府から許されて、再建されました。
この当時、弘前藩は幕府から命じられ、日本周辺の海に出没するロシア軍艦を見張るため、蝦夷地である北海道へたくさんの藩士を送り込んでいます。
ロシアはラッコの毛皮を求めて、カムチャッカ沖を南下。
津軽沿岸の詳細な地形を調査していたとか。
蝦夷地の警備には10年間で、4千人以上が派遣されました。
なかでも知床半島の陣屋で越冬した弘前藩士は 、100名以上の犠牲者を出す惨事に。
その労苦を幕府も認めて、1808年文化5年に、弘前城天守の再建がやっと認められたのです。
石垣大修理
築城について、知坂元先生の『歴史マンガ 卍の城物語』はとても興味深い。
マンガなので、臨場感たっぷり。
2016年に石垣大修理のため、天守を曳屋で移動させました。
番組では、この石垣大修理で驚くべく発見があったと放送されたのです。
それがイカ型角石。
イカの形に、巨大な石を削ったのです。
地盤が弱い場所に天守を建設したため、イカ型角石でがっちり土台を築いているんですね。
当時の技術革新だそうです。
石と石をつなぐために鉛製の金具も使用。
石垣を解体したことで、イカ型角石が発掘され、それは非常に珍しい建築法とのことです。
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桜は明治に植えたよ
弘前城には元々、桜の木はそんなにありませんでした。
松の木が多かったのです。
江戸時代が終わり、明治になると弘前城は軍の駐屯地になり、荒れていきます。
ヘビのすみかになっていました。
菊池楯衛
弘前公園にはおよそ2600本の桜の木があります。
明治になって、弘前城の荒廃に胸を痛めた旧藩士の菊池楯衛(きくちたてえい)は、桜の苗木を自費で買い、植えました。
しかし、その当時は「桜なんて軟弱なものを植えるな」と、反対の輩もいて、切られたり抜かれたり。
その後の日清・日露戦争により戦死した兵士達の慰霊のために植樹がなされ、桜の木々は育っていきます。
東内門のそばの「日本一古い桜の木」は、菊池楯衛が植えたとされ、樹齢136年。
ひ孫の菊池さんがその桜を眺めるシーンで、番組は終了。
しみじみと弘前の歴史の深さを思いました。
再放送は火曜・午後3時08分の予定です。
弘前公園は満開の桜ですが、2020年は野鳥の楽園となっていることでしょう。
5月6日まで封鎖されています。
コロナが早く終息することを願うばかり。
まとめ
歴史秘話ヒストリア「弘前城 北のお城の400年」を視聴して、弘前の美しさにため息。
本丸から望む岩木山の風格ある姿は、まさに殿様気分が味わえ、格別ですね。
弘前城は市民の誇りに、ほかなりません。
お花見を今年は我慢なので、過去の画像とともに感想をお伝えしました。
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