東奥日報の記者・斉藤光政氏が書いた『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』を読みました。
五所川原市の農家から発見された、古文書を巡る偽書(ぎしょ)事件を覚えていますか?
地元のみならず、全国を巻き込んだ論議を呼んだ「東日流外三郡誌」偽書事件について、集英社文庫から2019年に発刊された本を読んだので、感想をお伝えします。
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東日流外三郡誌とは?
ところが、古代から中世にかけての津軽地方の資料はあまりないのですね。
その空白を埋める古文書ではないかと当初、大いに期待されたのが、東日流外三郡誌。
「つがるそとさんぐんし」と、読みます。
五所川原市の農家から発見された、十三湊・安東氏の末裔が書いたとされた膨大な書物は、古代史ファンの注目を集めました。
書物の発見者は、農家の持ち主である和田喜八郎氏です。
1999年に73歳で病没した和田氏は、なぞの多い人生を送りました。
東北の歴史について新説が書いてあるという書物を、自治体に村おこしの起爆剤になると持ちかけたり、土器や神社の御神体をゆずり渡したり。
東日流外三郡誌の内容は、古代における東北の王朝について書かれて、歴史ロマンがたっぷり。
教科書には載っていない本当の青森の歴史、それが明らかにされたということで、評判になったのです。
たくさんの学者や作家も注目し、続々と関連本が出版されたのですね。
偽書事件
教科書に載っている青森の歴史といえば、次のようなことを挙げることができるでしょうか。
- 縄文時代にさかんに土器が作られて、三内丸山遺跡に代表される集落跡が多数、見つかった。
- 津軽為信公が、津軽地方を統一して、弘前藩の藩祖となった。
- 江戸時代は、度重なる飢饉があって、餓死者が相当数にのぼった。
- 明治以降も経済苦境のため、農家の次男三男は兵隊に、娘は身売りされる者が後を絶たなかった
明るいイメージよりは、「貧しく、暗く、寒い」の方が強い。
一方、和田家文書は、「東日流蝦夷王国・つがるえぞおうこく」をはじめ、これまでにない書物とされて、出版されると売れに売れにそうです。
邪馬台国(やまたいこく)に匹敵するような、阿蘇辺(あそべ)族と津保化(つぼけ)族の王国があって、のちに荒覇吐(あらはばき)王国となり、それから蝦夷(えみし)と、ヤマト王権から呼ばれた。
ごく簡単にまとめると、そういうこと。
しかし、内容につじつまが合わない点が多くて、偽書ではないかと騒ぎに。
写真をめぐって、著作権の裁判にもなったのです。
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感想
記録されたことだけが後世に残る。
庶民の暮らしや時代の風俗においては、そう言われます。
東日流外三郡誌のことが話題になった1990年代、私は出産や子育てのため歴史に気持ちが向かず、今回とても新鮮な気持ちで読了しました。
印象深かったのは、偽書だと鑑定した学者や作家が、「これが古文書ではなく、創作ものとして世に出たのなら、問題はない。書いた人は想像力がたくましく、ある種の才能がある」というようなことを述べたところです。
推理小説のように面白く読みました。
そして、書くことへの執念と、運命の恐さに、身がふるえます。
この地を治めた安東一族の伝説を、史書として位置づけたのが、「東日流外三郡誌」だった。
辺境の地にあって疎外され、自からのアイデンティティに恃(たの)むものがなかった津軽人(青森県日本海側の地域に住むひとたち)にとって、朝廷にまつろわむまま滅ぼされたという、遠い祖先を描くこの史書のトーンは、悲哀と反発と迎合がないまぜになっていて、中央への複雑な距離感を定められないひとびとに迎え入れられ、ベストセラーになった。
東日流外三郡誌について、この文に集約されているので、引用しました。
朝廷は、東北の蝦夷(えみし)とされた民を、奴婢(ぬひ)と俘囚(ふしゅう)に位置づけたのは史実として、残っています。
連れさらわれて、過酷な使役を強要された人々もいたのかもしれません。
東北の歴史が悲哀と反発と迎合がないまぜになっているのは、千年以上前の「阿弖流為(あてるい)と坂上田村麻呂の戦い」など、古代の歴史から続くことなのでしょうね。
まとめ
斉藤光政著『戦後最大の偽書「東日流外三郡誌」』を読みました。
とても興味深くて、モノを書くことの恐さも身に沁みた一冊です。
歴史ファンにおすすめです。
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