津軽こぎん刺しの雑誌「そらとぶこぎん4号」が発刊されました。
ツタヤ書店で購入して、読んだので感想をお伝えします。
今回は、幻の三縞こぎん29点の特集。
西目屋村を中心とする西こぎんや、平川市や黒石市の東こぎん、そしてつがる市や中泊町の三縞こぎん。
現存する数が少ない三縞こぎんの魅力を知ることができる「そらとぶこぎん4号」です。
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三縞こぎん
自給自足の時代は農民が畑に麻を植えて、夏に刈り取り、大釜で煮て、繊維を取り出しました。
江戸時代における弘前藩の文献にも、載っているこぎん衣です。
現在、こぎんのモドコはめんこいので、手軽なハンドメイドとして人気。
時代が変わって、刺し子の着物を麻を育てることから始める人はめったにいませんが、こぎん刺しにふれると、歴史民俗も知ることができます。
さて、そらとぶこぎん4号は、西北五地方にて刺し綴られた三縞こぎん29点が掲載されていました。
私は本を読むまで知らなかったのですが、三縞こぎんには四縞も五縞もあったそうです。
年に1回、発行のこぎん刺しの専門雑誌 「そらとぶこぎん」。
表紙は復元された三縞こぎんで、金木さなぶり荒馬踊の衣装にもなります。
この本に掲載されたこぎん刺しは、古作こぎんですから、同じ模様のものは2枚とありません。
刺し手が頭の中でモドコを組み合わせて、刺し綴りました。
理由は、昔は紙が高価で、農村の女性が買えるものではなかったからです。
そらとぶこぎんの編集スタッフさんたちの熱意を感じる本です。
また、田中忠三郎先生の研究も掲載されて、懐かしく思いました。
麻衣の歴史を生涯を懸けた、民俗学者の田中忠三郎先生です。
ところでなぜ、麻なのか?
寒冷地の青森は綿花が育たないので、江戸時代に弘前藩は農民に麻を植えさせ、糸紡ぎをして、機を織らせました。
寒さ厳しい冬を乗り越える智慧として、こぎん刺しが発達したのです。
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三縞のふるさと
津軽半島に位置する五所川原市金木町は、太宰治のふるさとです。
太宰は大地主の子どもでした。
一方で、大勢の小作人は大変に厳しい暮らしを強いられたのです。
胸まで泥に埋まりながら、田植えをして、稲を育てました。
腰切田が多い津軽半島の村々で、ひっそりと三縞こぎんは刺されたことでしょう。
弘前や黒石、平川よりも冷害に遭う頻度が高く、なかなかこぎん刺しをする時間や、木綿糸 が手に入らなかったことが、三縞こぎんの現存点数が少ない理由に違いありません。
女性の涙が染み込んでいるようにも映ります。
石田昭子さんのお孫さんの舞子さんは、「そらとぶこぎん」の編集スタッフ。
お祖母様の思いが、孫へ引き継がれるってすてきですね!
毎号、読みごたえがたっぷり。
こぎん刺しの 貴重な資料として、一見の価値あり!
佐藤陽子先生も、そらとぶこぎんに協力していらっしゃいます。
まとめ
そらとぶこぎん4号を購入し、読んでいるので、感想を紹介。
こぎん刺しの歴史民俗の資料として、とても勉強になります。
また、実用的な図案も載っています。
こぎんをアート作品へと高めた貴田洋子さんの取材記事など、読みごたえがたっぷり。
今年はねぷた祭りが中止となって寂しいのですが、こんなときこそ「こぎん刺し」に心が慰められますね。
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