庭園が全国的にブームですね。
弘前市には大石武学流庭園が何ヶ所もあります。
そのなかでも瑞楽園は、まったり眺めることができて、見学はなんと無料。
四季に彩られ、秋はとくに紅葉が赤く色づき、風情があります。
瑞楽園についてお伝えします。
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豪農の對馬家
とっても大きな、かやぶき屋根が特徴の旧對馬家です。
瑞楽園は豪農だった對馬家が、窮民対策のために明治23年から15年もかけて作庭した大石武学流の日本庭園。
それからさらに、昭和3年から増改庭して昭和11年に完成しました。
場所は弘前市内ですが、岩木山のふもとの高杉地区や船沢地区に近いです。
古い歴史に彩られて、旧正には裸参りが連綿と続く地域。
瑞楽園は現在、弘前教育委員会・文化財課が管理して、三浦造園が指定管理業者になっています。
母屋のほうも見学できますよ。
大石武学流庭園
母屋の縁側に座ると、美しく見学できるように設計されたお庭です。
お庭のなかに立ち入りことはできません。
大石武学流枯山水式の庭園は、弘前城植物園のなかにもあり、石組みの豪快さが特徴です。
礼拝や清浄を重んじる造庭技法は、全国的に数があまりないそうです。
写真が飾られて、歴代の庭師だとスタッフの方の説明を聞きました。
對馬家は専門家を招いて、庭を築いたわけですが、当時の津軽は凶作がくり返されて、庶民は苦しかったのですね。
それで、失業対策として地元の人を雇用するための作庭だったとのこと。
巨大な石を冬期間、雪の上を滑らせ、大勢の人が綱を引いて運搬したそうです。
對馬家の祖先と元寇
江戸時代には高杉組の大庄屋を務めた對馬家ですから、昔の農具や生活道具も展示されています。
画像に見えるのは、餅つきの臼。
かつては、お餅はごちそうだったのです。
大農家の對馬家は、たくさんの人を雇い入れて、田畑を耕したことでしょう。
刺し子着物やこぎん衣もありました。
ところで、三浦造園のスタッフの方が、こんなお話を聞かせてくれました。
「對馬家は、もともとは長崎県対馬に住んでいたと伝えられ、蒙古襲来の時にはるばる避難して、津軽にやってきたと言い伝えられているのですよ」
蒙古襲来とは、元寇のことですね!
元寇は、モンゴル帝国が属国だった高麗(今の朝鮮)に命じて、日本を襲撃した事件です。
鎌倉幕府が迎え撃ち、神風の台風により敵方の船団が全滅しました。
1274年11月11日~26日にわたる激戦だったそうで、對馬家にそんな歴史が秘められていたとは、驚きです。
対馬からの移住者で、對馬姓とのことでした。
ちなみに津軽の子守り唄に「寝~ろじゃ、寝ろ~じゃ、寝ねば山からもっこ来ら~ね」という歌詞があります。
この「もっこ」は、得体のしれない怖いモノという意味で、一説には蒙古が語源とされるので、日本にとって衝撃の事件が元寇だったに違いありません。
映画ロケ
広いお座敷で、ゆったり見学できる瑞楽園です。
「奇跡のリンゴ」の映画撮影のとき、祝言のシーンを撮りました。
無農薬のリンゴ栽培に生涯を懸けた、木村秋則さんの実話を映画化。
2013年制作です。
お庭も素晴らしく、母屋も広々として気持ちの良い空間。
めん処藤幸のわりと近い場所です。
瑞楽園の開園期間
休園日はありませんが、開園期間が4月20日~11月20日です。
開園時間9:30~16:30
入園は無料
弘南バス「船沢」行きに乗車し、「宮舘」にて下車し、徒歩5分
〒036-8384
☎0172-96-2744
まとめ
津軽の豪農の庭園である瑞楽園は、大石武学流枯山水の様式です。
對馬家の祖先は元寇による虐殺から逃れるために、津軽にたどり着いたという謂れがあるという話を興味深く聞きました。
地元にはまだまだ知られざる歴史の秘話がありそう。
弘前の観光スポット瑞楽園について紹介しました。
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