川合勇太郎さんが昭和47年に津軽書房から発行した「青森の昔話」を読んでいます。青森県内の昔話を何百も収録した574ページもある本。
著書の川合勇太郎さんが最初に「津軽むがしこ集」を採集したのは昭和5年! 県の昔話集として東奥日報社から本にして、それが初めての民俗資料集だったと、巻末にありました。
その当時は囲炉裏端でお爺ちゃんやお婆ちゃんが孫たちに話して聞かせたことでしょう。テレビはもちろん電気もないような時代ですから。
きょうは弘前市の話コとして載っていた「うんこ大師」を紹介しましょう。325ページに載っています。
うんこ大師
むがし、雨のふる夕方、汚い身なりをした坊さんが、村へ廻ってきて、大きな構えをした家に行って「今夜ひと晩、寝かしてけへ」と頼んだ。そしたら、そごのおが様が出てきて「少し取りこんでらはんで、泊められまへん」と断わった。
また別の家へ行くと、「わい、今いそがしくしてしたじゃ」と身なりを見て、相手にもしなかった。坊さんは困り果てて、村はずれの粗末な小屋のような家の戸をたたいて、「旅の坊主ですが、庭のすまこでもよいはんで、とめでけへ」と頼んだ。
すると、爺さまと婆さまが出てきて、「板の間でいいんだら宿ってけ」といって、ゆるぎにかかっている鉄びんの湯で洗足させて、中へ入れた。
坊さんは寝るとき、今日たくはつに歩いた米を出してお礼をしたが、あくる朝おにぎりにして持たせてやった。
婆さまが坊さんの出た後に寝ていた布団をあげてみると、その下から大判小判がどっさり入った財布がでてきた。 ふたりはびっくりして坊さんの後を追いかけたが、どこを探しても姿がない。
こうして貧乏だった爺さまと婆さまの家にお金がさずかった。村中にその話が聞えたので、断った家では悔しがった。
スポンサーリンク
間もなく、先にきたような坊さんがたくはつに廻ってきた。前に断った大きな構えの家では「泊まる」といわないのに、無理にとめて、大変な馳走をして、絹布の布団を着せて寝せた。
朝になって、坊さんが米を差し出すと、その米を握り飯にして、ぜいたくなおかずを作って送り出した。
坊さんが帰ったあと、これほど立派な布団に寝せて、ごちそうをしたから、きっとお金もたくさん置いて行ったろうと布団をめくってみると……。 布団の下にはごろんとしたうんこが置いてあったので、みんなはどってんしてしまった。
前の坊さんは弘法大師さまで、あとのはうんこ大師という坊さんだった。
とっつぱれ 。
弘前市の話として斎藤正さんが採話。
まとめ
うん(運)のつきそうな話コだの♪ ぼろぼろの身なりをしている旅人が実は福の神だったという伝承は日本だけでなく世界中にあるはんで、貧しげでも見下したり、冷たくしたりさねほうがいがびょん。
2018年8月4日、更新しました。
スポンサーリンク