つがる時空間

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猿賀神社の大祭・イタコの仏おろし

平川市にある猿賀神社は、蓮池で知られています。
津軽の三大神社のひとつで、山の神さまが岩木神社、海の神さまは高山稲荷神社、猿賀さまは農の神さまをお祀りしています。
境内には湧き水がこんこんと流れる泉があり、目の病気に霊験あらかたと、昔から言われてきました。
猿賀神社

 赤い太鼓橋がかかる池は
薄紅色の花が6月末ころから咲き始め、秋にはレンコンが採れます。
町のお菓子屋さんでは「蓮根ようかん」を販売しているところがあります。

大祭は旧暦8月15日から。
津軽では秋風が吹くころです。

この神社の大祭には、
津軽一円から獅子踊りの団体が集まり、大会が開かれます。

笛や太鼓や鉦(かね)の囃子方に合わせて、
獅子が長い袖をひるがえして、舞い踊る。
衣装には、黒い鳥の羽が、たてがみのように垂れていますから、独特の雰囲気。
獅子舞い、獅子踊りは、日本の芸能のなかでも最も古くからあるものだとか。

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仏おろしを初体験

出店が並んだ、にぎやかな宵宮の片隅に、
イタコ市がひっそりと並んでいたのは2008年のことでした。

ふたりのイタコがきていましたが、
私が通りがかったとき、おひとりは留守でした。
イタコのテント小屋には名札が掛かっています。
留守の方は、前に私が岩崎村のガンガラ岩で見かけた盲目のイタコでした。

それで、もうひとりの方に口寄せをしてもらいました。
こちらの方は晴眼者です。
年齢は60前後でしょうか。

色の白い美人な方です。桜色のサングラスをかけていました。
母親が有名なイタコでした。

文化庁が行った無形文化財の研究に協力したそうです。
1970年代から1980年代にかけ、
津軽のイタコが全国の催事場から呼ばれて
口寄せするほどのブームがありました。

北は旭川から郡山、東京、岐阜や
京都、岡山、松山、福岡にも出張して、デパートなどで口寄せしたとか。

 今ならそう、例えば下北のカミサマとして
名を馳せた木村藤子さんみたいな取り上げ方でしょうか。
でも、イタコの方々は目が不自由ですし、
明治や大正期に生を享けた方が多かったので、
自分で本を書いたりした方はいません。

社会福祉が整う前に、とても苦労されて成長し、
血の滲むような厳しい、住み込み修行した方ばかりですから。

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「あ~あ~極楽浄土の……南無阿弥陀仏……
5月7日の仏様ぁあ~あぁ、お婆ちゃ、お婆ちゃと孫さ呼んでもらって草鞋(わらじ)ぬぐ……」
 
イタコの祭文はなかなか聞き取り難く、わかったのはこれくらい。独特な節回りです。
 
 父方の祖母を呼んでもらいました。 祖父のの後妻として、
血のつながらない子どもばかり7人も世話した祖母。

私のことを我が子さながらに育ててくれた。
夜泣きをしたとき、砂糖入りの牛乳を温めて飲ませてくれたり、抱いて寝てくれたり。
 
 命日が5月7日です。
最後まで周囲に気を遣い、
亡くなった日はなんと先妻と同じ日。

同じ日ならついでに自分にも線香を手向けてくれるのではないかと、
生前、伯母にもらしたことがあると聞きました。

 しかし、そんな祖母を祖父は大事にはしませんでした。
気に入らないことがあると、孫の私の目の前で、手を挙げることがあって……。
それだけに、私は気に掛かっていました。

「7人も子がある家に嫁いで言うに言われぬ苦労があった。
全てを腹におさめてじっと我慢を重ねていだんだぉん。……
お婆さんはあんたが忘れないでいてくれたことをとても喜んでいるよ」
 
そうか、よかった。
「あんたさ、12月と1月と2月は風邪にきをつけへ。
兄弟は仲良く、喧嘩をしないように。親には孝行しへ。
親が体を壊してから
『あれ食べて、これ食べて』と物を持って行っても遅いから。

我(わ)、自分でそう思ったもの。
それから夫婦は円満で暮らし、ともの白髪になるまで添い遂げるのだよ」

 ま、型通りといえば型通りでした。
 物心ついたときからテレビを見て、さらに今はパソコンから情報を得ている身ですから、
素朴に涙を流すには、私は情報に毒されている。

 ただ、最後にイタコがこう言った言葉は、胸に沁み通りました。
「母は6歳で失明し、イタコになりました。目の不自由な身で、
私たち3人の子どもをよく育てたものだと、今も思います」
 
貴重な言葉を拝聴し、
 口寄せをしてもらって、良かったと思ったのでした。


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