つがる時空間

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目屋人形 藍絣の野良着に炭俵を背負って運搬したかつての姿を再現

先輩エッセイストさんから、貴重な民俗資料を頂きました。
尊敬する方からの頂きものですから、感激 です!

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 白神山地のふもと、西目屋村に伝わる『目屋人形』です。
    若い娘さんが背負う炭俵
西目屋村はかつて炭焼きがたいへんに盛んでした。
木炭の生産です。
家族総出で石を積み上げ、炭窯をつくり、伐採したナラの木など高熱で一昼夜、いぶします。
そうしてできるのが、木炭です。

津軽地方のきびしい冬の寒さをしのぐため、囲炉裏(いろり)にくべました。
西目屋村は山あいで平地が少なく、稲を収穫するのがなかなか難しい地域。
それに比べ、炭焼きは一年中、収入の得られる仕事でしたから、とくに砂子瀬集落で盛んでした。

じぶんたちの手で編んだ炭俵に木炭を積めて、若い娘が背負い、山道三里(12キロ)を歩きます。
里村の田代地区まで。そこからは荷馬車で消費地弘前方面へ運ぶのですが、砂子瀬までの道は勾配がきつい所が多くて、人が運んだのです。
二俵背負うと、だいたい30キロくらい。
そんな重い荷を背にして、山を越え、狭い川沿いの崖道を行きました。

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      ダムに沈んだ砂子瀬集落

途中の川には橋がなく、渡し船に乗り、雪どけのころはまさに命がけ。
白神山地からの流れは岩木川の源流なのですが、その激しい流れに呑まれてしまうことも。
でも休むことはありません。
炭を売ったお金で米を買い、家族が待つ山あいの家まで、持ち帰らないとご飯が食べられませんから。
盆と正月に3日くらいは休めても、親が死んでも実家に帰ることができなかった嫁もいたとか。

身にまとう野良着も自給自足でした。
目屋人形はそれを忠実に再現しているのです。
若い娘だけに許された桃色の手ぬぐいで頬かむりをし、肩の辺りにケラと呼ばれた蓑を着て。

風光明媚だったという砂子瀬集落はいまはダムの底。
人形だけがかつての山村の暮らしを物語ります。

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