桜の季節に禅林街を訪れたのは初めてでした。
4月24日の写真です。
このときソメイヨシノは7分咲きくらい頃。
この道の両脇に禅宗の三十三のお寺が並んでいます。
2代藩主の津軽信牧(のぶひら)公が城郭を計画したとき、裏鬼門(南西)の砦として、主要な寺院を集めました。
当時のまま今に受け継がれた通りが、黒門から長勝寺の三門まで伸びています。
住所は弘前市西茂森
33ものお寺が並んでいますから、お盆と彼岸の時期は渋滞します。
桜の時期はそんなに混んでいなかったので、駐車できました。
先日の記事のシダレザクラの古木がある天満宮は、禅林街の手前に位置しています。
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長勝寺
いつ見ても風格のある長勝寺の門です。
津軽家の最初の菩提寺。もともとは大浦城主・守信が亡き父の供養のため1528年に種里(現在の鰺ヶ沢町)創建。
1610年に二代藩主の津軽信牧公がこの地に移築したと伝えられます。
こけら葺きの屋根を何年もかかって修理しました。全国から職人を集めての大改修。
お寺の庫裡など見学できます。
禅林広場・忠霊塔・仏舎利塔
長勝寺の門の横手には、広場があります。
それが禅林広場。
桜の木がのびやかに枝を広げて、花を咲かせていました。
忠霊塔。
太平洋戦争の前夜である昭和14年(1939)に計画されて、市民が協力して岩木川から玉石を運んだそうです。
リュックに詰めて石を運ぶのですから、大変だったことでしょう。
禅林広場は高台にあり、岩木川へは坂を下ってさらにけっこう歩きますから。
昭和20年(1945)に完成しましたが、敗戦後にやってきた占領軍によって、軍国主義だということで、撤去の対象になります。
しかし、辛くも解体を免れました。
昭和23年(1948)にはタイから仏舎利(お釈迦さまの遺骨)が贈られて、それを納めて仏舎利塔に。
お釈迦さまの遺骨って、本物?
そう思いますよね。
日本にはシンボルを納めた仏舎利塔も多いようです。
禅林広場から眺めた岩木山の荘厳でした。
津軽のどこからでも拝むことができる霊山です。
禅林広場からもひときわ雄大。
きっと歴代の殿さまも目にしたに違いありません。
藩祖である為信公の霊廟は革秀寺に。
2代藩主・信牧公と奥方の満天姫(まてひめ)、3代藩主・信義公の霊廟は長勝寺の奥のほうに建っています。
満天姫は徳川家康の養女として輿入れし、弘前藩の安泰の礎を築いた賢女として知られています。
木立に囲まれた静かな佇まいで、一見の価値があるでしょう。
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