2024年1月16日更新しました。
先週、東京へ出かけて浅草にあるアミューズミュージアムを見学しました。
田中忠三郎先生のコレクションBOROを展示している私設の美術館です。
青森の民俗学者・田中忠三郎先生は惜しまれながら2013年3月に亡くなりました。若い頃は縄文土器を発掘し、連綿と続いた麻衣の暮らしに注目。
麻衣の襤褸は北国ならではの世界的にも珍しいとされています。
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アミューズミュージアム
AMUSE MUSEUMは浅草寺から徒歩2分もかからないような場所にあります。
背の高いビルで1階はショップとして、サキオリやこぎん刺し、和の小物などかわいいグッズを買うことが可能。
BOROの展示はショップの奥に受付があり、入館料は大人1080円。
びっくりするくらい外国人が多い浅草寺ですね。
でも、アミューズミュージアムの展示室はわりと空いていて、ゆっくり見学できましたよ。
布文化と浮世絵の美術館
2009年11月にオープンしました。
大手芸能事務所アミューズが運営母体です。
アミューズの創業者である大里洋吉会長が青森市の出身という縁から、浮世絵とともに田中忠三郎先生のBOLOを展示。
建物が築50年を超えて老朽化したため、残念なことに2019年3月末日での閉館が決まっています。
展示の目玉は、先人たちの苦労がしのばれる麻衣と民具の数々!
青森の麻の着物
かつては丹前や着物が破れたら、別布の継ぎを当てて寒さをしのぎました。
戦前まで農民の多くが、着る物を大切に自分たちで作っていたのです。
昭和40年代の高度経済成長とともに、日本は使い捨ての時代になりましたが、田中忠三郎先生は山村を巡り歩いて、民具や麻衣を収集。
その資料は3万点以上にのぼります。
BORО(襤褸)はほとんどを青森県の南部地方から集めたと、私は生前の田中忠三郎先生から伺いました。
「米の作付面積が大きい津軽地方と違い、畑作中心の南部の農家は換金できる作物があまりなかったため、生活が倹しかったんですよ。
それで、麻から布を作ることやヒエやアワを常食する暮らし方が 昭和に入ってからも残っていた」
黒澤映画『夢』
昭和8年生まれの田中忠三郎先生にとって、日本映画の巨匠・黒澤明監督は憧れの人。
戦後間もなく原節子主演「わが青春に悔いなし」を見て以来、大ファンだったと、よく話されました。
その監督から『夢』の衣装協力を要請されて、田中忠三郎先生は天にも昇る気持ちがしたそうです。
黒澤監督との写真も多数ありました。
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槻木遺跡の縄文土器
田中忠三郎先生が昭和20年代に発掘作業をした槻木(つきのき)遺跡の縄文土器や矢じりなどの石鏃も展示。
槻木遺跡は青森県平内町の畑地で、若きころに田中忠三郎先生は、耕作が終わった晩秋から冬にかけてたった一人で発掘したのです。
戦争の傷跡のこる日本では、縄文時代への理解は薄く、遺跡があっても土地の開発が優先されました。
青森県はいたるところに縄文遺跡があります。
縄文土器のほか、レトロな民具ももりだくさんです。
そして、ただいまこぎん刺しの特設ブースが開催中。
2019年1月29日~3月31日まで「アミューズミュージアム会館10周年記念 重要有形民俗文化財~田中忠三郎コレクション特別企画展~南部さしこ展も開かれます。
閉館まであと2カ月余り。
見逃せない展示です。
追記
東京都台東区浅草2-34-3にあり、ショータイムや浮世絵の映像を楽しむこともできる美術館でした。
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