弘前市にある佐藤陽子こぎん展示館は現在、コロナ感染症の感染拡大を防ぐため休館されていますが、このたび開館10周年を迎えました。
おめでとうございます!
10年前を思い出します。
私は取材に伺わせていただき、古作こぎんの質実でみごとな刺し模様を拝見。
こぎんを草履やバッグに活用した当時のものや、陽子先生のオリジナル作品もたくさんあり、目を瞠りました。
その後に私は、こぎん針を手にしたのです。
佐藤陽子こぎん展示館についてお伝えします。
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津軽こぎん刺しの第一人者
写真は佐藤陽子先生の作品展のもようです。
こぎんファンが、全国から訪れました。
ハンドメイドとして海外からも注目されるこぎん刺しです。
「こぎんのぬくもりを、全国に知って欲しい」
佐藤陽子先生とこぎん刺しの出会いは、10代からで、前田セツさんや高橋寛子さんの教室に、長く通われたそうです。
こぎん刺しは、農家女性の手仕事です。
江戸詰めの藩士が描いた『奥民図彙』にも、こぎん刺し衣を着た女性がスケッチと文章で描かれています。
農民が8割を占める時代、藍染の麻布に白い木綿糸で刺し綴るこぎん刺しは、津軽地方においては、ありふれたものだったのでしょう。
そして、こぎん刺しは明治36年頃の鉄道の開通とともに、農村でも廃れてしまったのです。
柳宗悦(やなぎむねよし)が『民藝』でこぎんの素朴な美しさを評価して、知られるようになったのは、昭和の初めでした。
手織り麻
青森は寒冷地ですから、綿花が育ちません。
そのため江戸時代は麻を畑に植えて、刈り取って糸に。
さらに機織りの工程を経るので、たいへんな手間がかかる布作りでした。
青森市の故・田中忠三郎先生は、青森の麻衣の歴史をひもといた民俗学者です。
南部菱刺し衣と津軽こぎん刺し衣などを国の 有形重要文化財になさいました。
新設!白神のいにしえ展のとき、田中忠三郎先生が蒐集なさったこぎん着物も展示。
西目屋村は、西こぎんのふるさとです。
佐藤陽子先生は、旧岩木町や弘前市の職員時代を通して、ずっとこぎん刺しを続けました。
そして、西目屋村の倉庫に眠る大きな西こぎんの古いタペストリーを発見なさるなど、村民も忘れたこぎんの存在に胸を熱くなさったと聞きました。
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10周年記念セール
弘前にはかつて織物工房があって 、しゃれた手織り木綿を織っていました。
各地の織り元に押されて、いまに残る布地は多くありません。
佐藤陽子先生は、貴重な弘前木綿とこぎん刺しをコラボして、バッグやタペストリーを製作。
古布のパッチワークと、一針一針のこぎん刺し、気が遠くなる作業に見えますね。
東京へもたびたび出張なさって、ワークショップを開催。
こぎん刺しの普及に努められた陽子先生が、ご自宅にこぎん展示館を開設され、10年。
開館10周年を記念して、こぎんの材料を割安に頒布されています。
10周年記念セールは19日まで。
数に限ります。
詳しくは佐藤陽子こぎん展示館HPをご覧下さい。
私はFacebookで見て、申し込んだところです。
「津軽こぎん刺し 図案集・高橋寛子 天からのおくりもの」を見ながら、刺したいです。
陽子先生のこぎん糸は太め。
ふっくらとした刺し糸の作品に仕上がるんです。
それは、師である高橋寛子さんの教えだったとか。
画像は、私が本を見ながら刺したこぎん刺し。
じつは布目を少し、間違えてしまいました(@@;)
昔の人は、図案なしで頭で文様を組み立てたのですから、すごい!
和紙が高価だった時代のこと。
いまは紙でも布でも服でも手に入りますが、かつては全くそうではありません。
麻から着物を、木のツルからカゴを、なんでも手作りハンドメイド。
人間の手はすばらしいですね。
そらとぶこぎん4号は、Amazonでも取り扱い中です。
まとめ
佐藤陽子こぎん展示館が10周年を迎えました。
記念セールが19日まで開催されているので、お伝えしました。
佐藤陽子先生のこぎん糸は太め。
こぎん刺しの作品がふっくら仕上がります。
こぎん刺しは、刺し子のひとつで、津軽にしかない農民の美。
これからさらに、世界に向けて羽ばたいてほしいですね。
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