太宰治と言えば記念館となっている生家の「斜陽館」が有名です。
1907年に建てられた津軽の地主の権勢を今に伝える記念ミュージアムです。
その斜陽館から徒歩5分の場所にあるのが、津島家の新座敷「太宰治疎開の家」。
太宰治の書斎があり、落ち着く空間なのでお伝えします。
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太宰治疎開の家とは?
戦時下の東京に住んでいた太宰治と妻子は、空襲を受けました。
防空壕のなかで幼い娘たちに話して聞かせた昔話をもとに、「御伽草子」は練られたという説があります。
いよいよ爆撃が激しくなって、太宰は妻子を連れて金木の実家に着きますが、勘当された身だったため、母屋でなく新座敷に住むことを許されます。
なかなか居心地のよい広いお座敷!
太宰一家は、ご飯を母屋で食べていたそうです。
太宰治の書斎
火鉢と津軽塗りの座卓が、書斎として展示されていました。
戦争末期から暮らし始めて、戦後は『斜陽』でいち早く流行作家として活躍した太宰治。
戦争中は戦意高揚の文章を一切書かなかったので、終戦後すぐ文芸誌に作品を発表できたのですね。
火鉢で暖を採り、ペンを走らせたのでしょう!
築百年。生家の知られざる離れ 〈津島家新座敷〉は1922年(大正11)の建築。
当初は生家(現・斜陽館)の奥に渡り廊下で繫がる、太宰の長兄夫婦のために建てられた離れ屋敷でした。室数5つの数寄屋造り。
16歳の太宰
古い写真が展示されています。
16歳の太宰治が長兄の津島文治とその娘たち、そして弟と写った1枚。
未発表の写真だったそうです。
16歳の太宰は青森中学に在学中で、この後、官立弘前高校に進学。
弘前市が公開している太宰治まなびの家は、高校時代の下宿先です。
疎開の家からは、お庭が一望できました。
「手を加えられているので、太宰治が疎開していた当時とは違うようですよ」と、解説員。
やっぱり大地主ですね。
津軽地方は小作料が7割と全国のなかでも高かったそうです。
太宰治は葛藤を抱えながら青春を過ごし、やがて東京大学に進学しました。
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陶工房ゆきふらし堂ギャラリー
陶工の作品も見学できます。
時間を忘れてしまいそう。
併設:陶工房ゆきふらしギャラリー
■入館料 500円 小中学生250円
■開 館 9:00~17:00
■定休日 第1、第3水曜日
■電 話 0173-52-3063
金木さなぶり荒馬まつり
腰にひしゃくがあるのは、昔はお祭りに町内を練り歩いたら、酒が振る舞われ、それをいただいて飲み干したそうです。
地元のテレビ局が昭和40年ころの金木さなぶり荒馬まつりの記録を放送し、わかりました。
飲みながら跳ね踊るのは、心臓に負担がかかりますね。
今は、まつりが終了したら打ち上げでしょう。
まとめ
金木町、すばらしいまつり文化と太宰治の関連施設です。
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