つがる時空間

青森県弘前市を中心に弘前公園やねぷた、こぎん刺しを紹介

こぎんの唄・古作こぎんの哀史

ご近所の久枝さんが、私にこぎん刺しの着物を託して下さいました。
70代の久枝さんが
長く保管してきた貴重なこぎん刺しは、
お姑さんが制作したのだそうです。

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藍色に染めた麻布に、刺し綴った白い木綿糸のすがすがしさ。
粗い麻の布目をふさぐように、細かく刺すのがこぎん刺しの特徴です。
作られてから100年以上を経ているのに、藍の香りがふわりと立ち上りました。

民藝の柳宗悦(やなぎむねよし)氏が昭和の初期に見出すまで、
廃れていたといわれるこぎん刺しです。

でも、津軽の女性たちは江戸時代から、
いえ、たぶんもっと以前から、麻布にこぎん刺しを施したのです。

縄文時代に、麻の衣服はあったろうとされています。
遺跡から、編布(あんぎん)の切れ端が発掘されているからです。

寒冷地の青森は木綿が育たない土地で、
江戸時代は藩から農民は
麻の着物しか着てはいけないとおふれが出されました。

明治時代になっても北前船のもたらす木綿は高くて、
農民は自分の畑に麻の種を撒き、育てた麻の茎から、繊維を取り出します。

その手間はどれほどだったでしょうか。
村人総出で、何メートルにも育った麻を大釜で煮上げて、
川にさらし、乾燥させたそうです。
糸紡ぎは農閑期の冬になってから。

女性たちの夜なべ仕事でした。



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寒さにこごえ、涙がでるほど辛かったと書いてある文献もあります。

それから機織りをして、反物にし、さらにこぎんを刺した。
防寒のためにぎっしりと針目を入れますから、織物のようです。
ところが、明治30年代に青森にも列車が開通すると、物流が良くなります。
木綿が安価に入るようになって、急速にこぎん刺しは廃れてしまうのでした。

久枝さんのお姑さんは白神山地岩木山に挟まれた小さな村に、明治28年に生まれたそうです。
こぎん刺しの最後のほうの作り手だったでしょう。

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「農家の主婦だった姑は14人の子どもを産んだが、
そのうち半分くらいしか大人になれなかった。

主人は末っ子七男なのよ」と、久枝さんは語りました。

「唄の好きな姑でね、
子どもたちはみんな民謡好きになった。

姉は民謡コンクールに出たし、うちの主人は本業のかたわら、ステージにも立った。

そんな子どもたちの姿を楽しみにしていた姑は、
働き通しだったせいか、
老いてからは病気がちだったの」
 
久枝さんは90歳で亡くなったお姑さんを偲んだ。
小柄な人だったのよ、とても、と。

「私も70代後半になったわ。
子どもたちは関東に住み、青森には戻らない。
いまのうちに、家のなかを整理しているのよ、身体が動くうちに、ね。

あなたは古いものを大切にしてくれそうだから、何かに役立ててね」

なんてありがたいことでしょう。
こぎん刺しの着物を眺めていると、
津軽の唄が聞こえてくるようです。
厳しい風土を生き抜いた先人たちの唄が。

  
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