今週のお題「読んでよかった・書いてよかった2024」
今年、書いて良かったのは、このブログとともに、文藝同人誌「エアツェーレ」に寄稿した「小説 笹森儀助・台湾編」です。
笹森儀助は明治時代の探検家であり、政治家・実業家。
第2代青森市長でした。
日清戦争後に実施された日本国の台湾統治について、お伝えします。
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小説 笹森儀助
エアツェーレは、弘前在住の作家・佐々木宏一さんが代表兼編集人です。
いつもお世話になり、感謝。
笹森儀助は明治20年代に琉球や八重山諸島をつぶさに調査し、「南嶋探験」を著します。
そして奄美大島の島司(とうし)に就任。
日本の探検家、政治家、実業家。
当時の日本において辺境の地であり、その実態がほとんど分かっていなかった南西諸島や千島列島を調査したほか、奄美大島の島司や第2代青森市長も務めている。
写真は琉球を探験したときで、儀助はすでに40代。
車や飛行機、新幹線どころか列車も開通する前に、徒歩と船で旅したのです。
傘をさしているのは、樹上から落ちる蛭(ひる)を避けるため。
毒虫に刺され、片方の足はひどく腫れています。
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台湾を視察
笹森儀助が奄美大島で勤務していた時、日清戦争に日本が勝利しました。
大国の清王朝は、阿片戦争などイギリスやフランスに負けて、国力が落ちていたのです。
日本に賠償金を支払い、台湾と遼東半島を割譲。
しかし三国干渉により、遼東半島を手放したのですね。
明治31年に儀助は台湾を、4カ月かけて視察。
台湾は豊かな土地柄で、パイナップルや黒糖、樟脳など特産がいっぱい。
その一方で、当時は山岳に先住民族が暮し、敵の首を狩る「首狩り」の風習がありました。
つまり、いつ襲われるかわからないような視察の旅だったのです。
東奥日報から出版の書簡集は、文語体の手紙が多め。
陸羯南からの手紙あります。
舘田勝弘先生が主宰する「陸羯南会」の会報には、笹森儀助のことにもふれてあるので、勉強になります。
台湾視察の後、儀助は奄美大島の島司を辞任し、中国大陸へ旅立つ。
いま、当時の朝鮮半島やロシアの情勢を調べています。
ということで、私の生涯学習の旅は、まだ終わりそうにありません。
まとめ
弘前の偉人のひとり、笹森儀助の小説についてお伝えしました。
明治時代の歴史は学校であまり習わなかったので、興味深く感じています。
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