4月3日の日曜は雨の一日となっています。
多くの雨が流れ込む土淵川は土手町から和徳町(わっとくまち)を経て撫牛子(ないじょうし)のほうへ流れています。
先月、土淵川の蓬莱橋の辺りを散策しました。 今回は、土淵川の川沿いにある東照宮の跡地。
和徳町の橋のたもとからは鎮守の森をいまも眺めることができます。
藩政時代からの由緒ある東照宮がありました。家康公ゆかりの東照宮
養女である満天姫(まてひめ)が二代藩主の信牧(のぶひら)公に輿入れされ、養父である祭神をお祀りしたいと建てられた神社でした。
結婚式場の経営失敗で破産
いまは本殿がぽつんと残ります。
というのは、先々代の宮司が境内で運営していた結婚式場の経営に失敗し、破産。<競売に掛けられるという憂き目に。
負債額は2億円だったとか。
2007年から宗教法人としての活動を停止し
2012年には裁判所から破産手続き開始の決定がされました。
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法人格をもつ神社の破産は、神奈川県の伊勢山皇大神宮(2003年)につづいて2例目とのこと。
本殿は寛永5年(1629年)に建立された古い建造物。
国の重要文化財に指定(1953)されていたので、取り壊しをまぬがました。
ご祭神は黒石神社へ移されました。
拝殿が取り壊されて本殿だけとなり、かつての面影が薄い。
本殿の外観は素木造。
鬼板や妻飾りに彫られた葵紋が由緒をあらわすそうですが手前にロープが張られ近くに寄ることができず、確認できません。
屋根は日本の伝統的な建築物にみられる柿葺(こけらぶき)です。
境内は広く、視界がすっきりと土淵川まで望めます。
心なしか寒々としていました。
2015年 弘前城もみじと菊まつ徳川家の養女として輿入れした満天姫(まてひめ)は2代藩主 信牧公の正室。
じつはそのとき信牧公にはすでに石田三成の娘で、辰姫という妻がいました。
辰姫を現在の群馬県にあった弘前藩の飛び地に匿い、満天姫を迎えます。
満天姫は再婚で連れ子がいました。
前夫は安芸広島藩の福島正之。
政争のため幽囚されて、餓死。
後に、その連れ子が福島家の再興を企て、毒殺されたとも伝えられますが、弘前藩の安泰を願った賢夫人であります。
満天姫の霊廟は長勝寺にあります。
弘前は人口18万人のこじんまりとした城下町ですが、江戸時代の面影が市内のあちらこちらに残ります。
そして、物静かなたたずまいに、ドラマティックな物語を秘めています。
2018年8月13日更新しました。
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