弘前市藤代の革秀寺は津軽為信公の霊屋(おだまや)があり、由緒のある史跡。
7月の下旬からハスの花がきれいに咲きます。
セミの声が聞こえるなか、薄紅のハスを見学しました。
いま『卍の城物語』を読んでいます。
知坂元さんが書いた歴史マンガ。
弘前城・築城当時のエピソードがわかりやすくて、とっても面白い。
卍の城物語

『卍の城物語』は、22歳だった為信公が石川城主の南部高信を滅ぼす様子から始まります。
敵の首50を石川城の両端にかけさせ、勝ちどきをあげる、そんなシーンも。
あじさいまつりの大仏公園が400年以上も前、血みどろの戦いの場だったことに、あらためて驚きます。
大仏公園の石仏はそのときの霊をなぐさめるためもあるのでしょう。
為信公は、武勇に優れて、17年間に①石川城 ②和徳城、③大光寺城 ④浪岡城、⑤油川城 ⑥田舎館城などを、つぎつぎと攻撃。
負け知らずでした。
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天正18年(1590)3月、太閤秀吉公より朱印状を拝受。
平賀郡、田舎郡、鼻和郡の津軽三郡の所領4万5千石の大名として認められました。
知坂元先生がお書きになった『卍の城物語』には、弘前藩の成り立ちが詳しく載っています。
マンガなので読みやすく、面白くて迫力たっぷり。
さて、革秀寺の本堂はいま改修工事中。
とても立派な禅寺。
葺き替えですから、しばらくかかりそう。
本堂の裏からのぞむ岩木山は、すそ野を長くひいて、秀麗です。
為信公は、岩木山の眺めのよい地で、永久のねむりに。
門に、りっぱな津軽牡丹の紋章があります。
杏葉牡丹紋(きょうようぼたんもん)
京都で近衛公より、さずけられたとか。
夏休みなので、地元キッズが虫網を手に。
カブトムシやクワガタ狙いでしょうか。
津軽統一を果たして、為信公は、慶長12年(1607)に京都で没しました。
遺骨は、2代藩主の信牧公によって、革秀寺に。
享年58歳。
北前船(弁財船)で津軽と京を行き来した、パワフルな武将。
ねぷた祭りの鏡絵に、よく登場します。
蓮の花があでやかに咲き、夏の夢を物語るかのような、お寺のたたずまいです。
2018年8月17日更新しました。
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