2018年8月27日、弘前市民会館の大会議室で『こぎんの学校』が開催されました。
主催は『そらとぶこぎんプロジェクト』と津軽工房社、講師が佐藤陽子こぎん展示館の陽子先生と、kogin.netを運営する山端家昌氏です。
午前中は「津軽こぎん―高橋寛子」上映会と陽子先生によるワークショップ
午後が実際の古作こぎんを前にして、山端氏が津軽こぎん刺しの歴史を紐解き、新たなこぎん刺しの可能性をさぐるという2部構成。
奥の深い『こぎんの学校』について、お伝えします。
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こぎんの学校とは
津軽こぎん刺しを農民衣の結晶と評したのは、昭和の初めにこぎん刺しの美しさに感動した柳宗悦(やなぎむねよし)。
民藝運動を世に広めて、日本の素朴な美を追求した文化人でした。
それまで、津軽地方の人は「こぎん刺し」を木綿を着ることができない生活の貧しさと恥じる面があり、表に出すものではないと感じていたそうです。
明治半ばまで、北国の青森では綿花が栽培できないため、農民は麻を畑に植えた大麻(オオアサ)から繊維を取り出し、糸につむいで布を織る、麻衣の暮らし。
農家の女性が睡眠時間を削って布作りをしても、そう何枚も作ることができるものではありません。
こぎんの学校は、青森の歴史と風土に育まれたこぎん刺しを、後世に伝えたいという思いからスタートしたことでしょう。
主催の『そらとぶこぎん』は、年に1度発行している、こぎん専門雑誌の誌名です。編集部は鈴木 真枝さん、石田 舞子さん,、小畑 智恵さんの3名。
寒さが厳しい青森では、少しでも暖かく過ごすためと布の補強のために、自家製の麻布に木綿糸で刺繍しました。
それが津軽地方はこぎん刺し、南部地方は毛糸も用いて南部菱刺しとして発展したのです。
上の写真は、こぎんの学校に三沢市から参加された方が刺した菱刺しの前垂れ。
菱刺しは色糸の毛糸を用いるので、色合いもきれい。
前垂れは当時のおしゃれ着でした。祭りにはとっておきの一枚を締めて、恋の花を咲かせたという逸話を、民俗学者の故・田中忠三郎先生が書き残しています。
在りし日の田中忠三郎先生(1933~2013)は、下北郡川内町生まれで、青森市に長くお住まいでした。30歳ころまで縄文遺跡の発掘、その後は麻衣の研究をされ、津軽と南部の刺し子着物786点が国の重要文化財に指定されています。
とくにBOROの審美眼で知られ、NHKの『美の壺』にも出演されました。
前垂れの製作者は木滝奈央さん、若い女性です。
古作の南部菱刺しは、毛糸を用いたため虫食いの被害やまた、刺された期間が長くなかったという理由から、現存する数が少ないそうですが、若手の作家が継承しているのですね。
ちょっと脱線したので、話を戻しましょう。
そらとぶこぎんプロジェクトは、年に一度発行の「そらとぶこぎん」編集部の方々が運営しています。
編集部の石田舞子さんは、こぎん蒐集家の石田昭子さんのお孫さんです。 昭子さんは90歳でお元気と伺いました。
ぜひまた、お話を聞きたいものです。
そらとぶこぎん第2号は、いまも昔ながらの手作業で麻布 を作っている弘前出身の山内えりこさんの活動を丁寧に取材。
そして、主催のもう一社・津軽工房社は、弘前市元寺町のこぎん刺しの材料(コングレスやこぎん糸)を取り扱う手芸店です。
草木染めこぎん糸、草木染めコングレス、草木染刺し子糸、化学染料で染めたこぎん糸や刺し子糸も取り扱っています。
津軽工房社
佐藤陽子こぎん展示館
こぎんの学校は1時間目が10:00~12:00で、佐藤陽子先生が師事をした高橋寛子さんのドキュメンタリー映画を紹介し、ワークショップをされました。
こぎんの学校、私はやむを得ない事情があって、午後からの参加になりました。高橋寛子さんの業績は、「そらとぶこぎん1号」にも詳しく紹介されています。
こぎん研究所の前身だった木村産業研究所は、モダニズム建築の巨匠である前川國男の 処女作品。
講師の佐藤陽子さんはお勤めのかたわら家庭を守りつつ、津軽こぎんの再興のために前田セツさんや高橋寛子氏に師事して、若いときから学び続けてきました。
佐藤陽子こぎん展示館のHPから、すてきな図案を閲覧することが可能です。
七緒の本に、佐藤陽子先生も登場しています。
山端家昌氏が紐解くこぎんの歴史
kogin.netを運営している山端さんが、長い年表を作成して皆さんに解かりやすく歴史を紹介。
それから明治期の古い写真や「奥民図彙(おうみんずうい)」などの文献、昭和になって発行された数多い手芸本も解説してくれました。
「こぎん刺しは農家の女性たちが刺し綴り、晴れ着として着て、少し古くなると仕事着におろしたはず。
山仕事が主な西目屋地区で多く作られたため、衣が今に残ります。砂子瀬集落の人は生産した炭俵を背負い、急な山道を行き来したので、肩の部分を特に補強していますね」
ルーペで観察すると、白い糸でぎっしり刺して、藍の糸でも刺してあるのが判ります。
それだけ麻布を補強したということで、細やかに細やかに針を進めたことでしょう。
かつては女の子には6歳頃から針を持たせて、祖母や母親の見よう見まねで覚えたとされる津軽こぎんです。
娘さんは嫁入り着物として、自分で刺し綴りました。お針の下手な女性は、嫁の貰い手がなかったという話も。
昔は今と違い、女性の地位が低かったのです。
こぎん刺しが盛んだった明治の頃は、現在のようにコピー用紙がある時代ではありません。
製図もなし。
頭の中で図案を計算しながら、刺し綴りました。
どんだけ~!と、驚嘆します。
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広がるこぎんの輪
80名の方々がこぎんの学校に参加しました。
ハンドメイドとして人気が高い。
私は数年前にマレーシア・クアラルプールに進出している伊勢丹デパートの紀伊国屋書店で、こぎん刺しの本を見かけました。
マレーシアはイスラム教徒の国だから、女性は慎み深い。そのうちこぎん刺しが国際的なブームになるかも。
組子細工とこぎん刺しのコラボを得意とする田中敏明さんもお見えでした。
4月に開催されたこぎんフェスに出展され、新鮮な味わいで、見学者を魅了。
こぎん刺しはいろんな可能性を秘めています。
写真はkogin.netの山端さんが考案したこぎん模様を浮き出すシートファイル。
お椀の形や、ドレスなどを古作こぎんにあてると、いろんな文様に注目できる。
最後に会場に参加の皆さんが手作り作品をテーブルに持ち寄って鑑賞会。
ゆみこさんのカエル君や美佳子さんのりかちゃん人形のこぎん帯も並びました。
だれ、手提げをどんと置いたのは?
紺色の地に淡い茜染めのコングレスで刺したのは、マイバッグです。すみません、厚かましく見ていただきました。
まとめ
東京浅草にあるアミューズ・ミュージアムでは、田中忠三郎先生が蒐集した津軽こぎん刺しや南部菱刺しを展示していますが、2019年3月末日をもって閉館となります。
建物の老朽化が理由です。
首都圏でこぎん刺しを鑑賞する施設が来春で閉じるのは残念ですが、こぎんの輪はこれからも広がっていくのは間違いありません。
弘前市民会館で開催された『こぎんの学校 』は、江戸時代の文献をひもとくところから始まり、意味深い講義でした。
佐藤陽子さん、山端家昌氏の解説はわかりやすく、こぎんが晴れ着でもあったことを再認識。
そらとぶププロジェクトの皆さんの進行も楽しくて、終わってしまうのが名残惜しいほど。
「また来年お会いしましょう」と、盛況のうちにお開きとなったこぎんの学校です。とっても勉強になり、ありがとうございました。
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