7月となり、令和3年も後半戦ですね。
弘前ねぷたまつりは、合同運行をとりやめますが、町内会を運行するねぷたがあります。
今日は、暑い夏に涼を呼ぶ「幽霊女房」の話コを紹介。
ぞくっと怖い昔話です。
スポンサーリンク
幽霊女房
嬶(かが)と、ばくち打ちの親父があった。
大きなお腹を抱えた女房なのに、その夫は家庭を顧みずに賭場に入り浸りであったど。
留守に、女房が産気づき、隣家の主婦が迎えに行っても、夫は腰を上げない。
「丁か、半か!」
ばくちに夢中なのだ。
そうしているうちに、女房は難産の末に亡くなってしまった。
「そなだ、戻らねうじに、嬶ァ、赤児もて、死んでしもたきゃ」
昔の津軽では、お産で亡くなる妊婦が少なくなかった。
お産はまさに、命がけ。
あろうことか、夫は妻子より、ばくちが大事という人でなし。
夫がようやく家に帰ったときはもう、女房も赤児も息絶えていた。
仕方がないので、菰(こも)に包み、墓所へ埋めた。
すると、その夜から毎晩のように、白い着物姿の嬶が赤児をおんぶして、炉のところに現われる。
寒(さび)じゃ
幽霊となった女房は、炉に柴を燃やし「わぁ、寒(さび)じゃ」と言い、家が燃えるかと思うほど、赤々と柴を投じた。
夫は、怖ろしくなって戸棚の中に身を潜めて、じっとした。
女房は、夫の布団をはいで「赤児よ、赤児よ。今夜もまたばくちをして、居ねじゃ。親父ァ、家ね居れば、命コ 取ってけるのごと」と言い、必ず流しで水を飲む。
そして、姿を消すときは炉火に灰をかけて、戸口から出て行った。
魂コ来ね方法
毎日、奇怪な事が続くため、夫はすっかり弱ってしまった。
そんなとき、尼さんが家の前を通ったので、夫は思いあまって救いを求めたのだった。
事情を話して、幽霊が来なくなる方法を聞くと……。
「それだば、魂コ来ね方法、知らへさね」
「山さ行って、マコモを刈り、菰(こも)を編めへ。
その菰さくるまって、女房を埋めた土まんじゅうの上さ、寝でろ」
それは、肝が冷えることであったが、それ以外に方法がないというので、夫は言うとおりに、墓の上に寝た。
スポンサーリンク
幽霊あきらめる
丑三つ時に、土がモコモコと動き出し、腕が突き出た。
女房が赤児を抱いて、這い出てきたのだった。
髪をふり乱して、目を光らせた幽鬼の姿に、夫はただただ菰を被って震えるばかり。
そのとき、マコモの茎にふれた女房は、「きのう今日に死んだと思ったのに、盛り土の上に苔が生えでらじゃ。赤児や、もう行げねじゃ」と、悔しそうに呟くと、土の中に引っ込んだ。
それっきり、女房の魂コは来なくなった。
尼様が通ったとき、夫は一升の酒を飲ませど。
とっちぱれ。
*川井勇太郎著「青森県の昔話」250ページを、読みやすくリライトしました。
原文は、津軽弁がネイティブです。
ユーモアたっぷりの「うんこ大師」に対して、「幽霊女房」は、ギャンブル好きの夫に泣かされた嬶が幽霊になる話コ。
嬶は、津軽弁で「あっぱ」と言いました。
嬶やお母さん→あっぱ
隣家の奥さん→となりのえのあっぱ
親父→あや
子ども→わらし
子供達→わらはど
今では滅多に聞くことがありません。
テレビの影響で、青森のお子さんたちは、祖父母の津軽弁を理解できないことが珍しくなくなりましたね。
話題の怪談本です。
眠れなくなるかも!
まとめ
『青森県の昔話』の本から、「幽霊女房」をお伝えしました。
たくさんの昔話を県内のお年寄りから採話した分厚い一冊。
津軽弁と昔話が後世に残るように大切にしましょう。
関連記事はいかがですか。
スポンサーリンク