2019年10月13日更新しました。
寺山修司記念館を10年ぶりに再訪しました。
昨年は、寺山の生誕80年を記念するイベントが青森市で開催され、盛り上がりましたね。
寺山修司と、太宰治とは青森が生んだ偉大な芸術家です。
でも、本音をいうと寺山ワールドは前衛的で、ついていけない気がしていました。
この記事は、寺山修司記念館ついて紹介しています。
寺山修司の世界
いざ、館内へ。
薄暗い館内です。
展示室は机があり、引き出しを見ることができます。
写真撮影OKで、ブログ掲載の許可を頂きました。
引き出しには寺山が赤ちゃんのころの写真が!
めんこい赤ちゃんではないですか!
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〈寺山修司〉1935〜83年。青森県生まれ.
早稲田大学教育学部在学中より歌人として活躍。
67年演劇実験室「天井桟敷」を設立。
詩人、劇作家、映画監督等幅広く活躍した。
短歌は10代のうちから全国紙に載るほど上手く、
詩を書けばたちまち若者の心を射抜く。
さらに演劇の脚本、映画監督も。
仕事量は膨大で、
喫茶店で書いた原稿が、そののまま活字になったそうです。
原稿はたいてい、なんどか修正するものですが、
寺山は一発で磨かれた言葉をすいすいと書くことができた。
ということを、寺山修司の研究家である世良啓さんから伺いました。
教えて下さり、感謝(*^_^*)
時代を駆け抜け、47歳で亡くなった寺山。
もともと丈夫な人ではありません。
腎臓を悪くして、大学を途中でやめています。
母子家庭でした。
父親が戦病死。
母のハツは、一人息子の身を案じたと思いますが、寺山は母に捨てられたという気持ちが強くあったとのこと。
未亡人となったハツは、アメリカ軍人のオンリーになって、全国各地を渡り歩きます。
オンリーとは現地妻のこと、今では愛人とも言いいます。
寺山は複雑な気持ちを抱きながら、親戚にあずけられて、成長。
三沢市は父親の実家があった町です。
森山大道さんの写真「三沢の犬」
寺山が大絶賛し、森山さんを有名カメラマンにした写真。
基地のある街・三沢市にうろついていた野良犬を撮影したそうです。
「う~、ワン!と、うなって吼える声が聞えそう。
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まるで狂犬さながらに、するどく睨みつける雰囲気を
寺山を評価しました。
三沢はたしかに基地の町ですが、沖縄と違って、原野を撤収した面積がほとんど。
沖縄のような反駁はほとんどありません。
私の母の地元でして、母がそんなふうに申しておりました
演劇人
天井桟敷
「大山デブコの犯罪」でしょうか?
寺山の演劇
美輪明宏さんが「毛皮のマリー」を演じていますね。
寺山を高く評価し、何度も再演しています。
記念館の外も展示ブースに。
木立が多くて、新緑がきれい です。
ステージもあるんです!
壁に貼られているのは、寺山の言葉。
ファンならたまらないはず!!
寺山の生前の姿をビデオで鑑賞できます。
コートの襟を立てて、男前の寺山ですが、口を開くと、青森の訛りがあって、ぐっと親近感♪
長く東京で暮らしても、ふるさとの訛りが抜けなかった
寺山と記念館で会うと、新しい発見があるかも しれません。
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