仙台市に編集部がある「みちのく春秋」が先日、届きました。
東北の書き手が原稿を寄せ、青森県からは舘田勝弘先生や竹浪和夫氏、青柳隼人氏、そして田邊奈津子が文学評論や小説を寄稿。
私が書いた弘前藩の士族、探検家と知られる笹森儀助についてお伝えします。
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笹森儀助
弘前藩の士族だった笹森儀助(1845~1908)は、藩校で学び、成長すると役人として、弘前城を明治政府へ引き継ぐ役目をします。
明治政府の役人がとても威張り、若き儀助は憤慨したそうです。
戊辰戦争と江戸時代の終焉という激動を、まさに体験。
そのころの弘前城は藩主が去り、荒れ果てていました。
ようやく桜の苗木が植えられたばかり。
役人時代を経て、笹森儀助は岩木山麓に牧場を主とした農牧社を開設します。
農牧社
標高1,625 メートルの岩木山は青森県で一番、高い山です。
津軽平野のどこからも眺めることができる霊峰。
現在はブランドとうもろこし「嶽きみ」で知られていますが、笹森儀助が入植したころは原野です。
苦労しながら開墾して乳牛を仕入れて、牛乳を飲む習慣がなかったころに、ミルクを供給しました。
常盤野には現在ミズバショウ沼があり、 散策コースになっていますし、嶽温泉や、湯段温泉などあり、あずましい温泉旅館も。
しかし今も昔も、冬は気温マイナス10度と気象条件が厳しい。
笹森儀助は、東京に「津軽屋」を開いて商売もしました。
方言の壁があり、これまた苦労したのです。
探検家
儀助は農牧社を後進に譲り、日本の各地を貧旅行。
すでに40代半ばで、当時の平均寿命ではそろそろ老境です。
それから軍艦に乗船して、北海道の北にある千島やアリューシャン列島を見て歩きました。
ロシアの南下により、ラッコなどの乱獲と国境の警備について視察。
食糧不足や悪天候のため、苦難の連続でした。
そして、弘前に戻ると『千島探検』をまとめて、明治天皇や井上馨大臣らに献上。
さらに、沖縄と八重島諸島へ出発!
民間の飛行機はもちろん、列車がまだ開通していなかった明治20年代、沖縄の細々とした庶民の記録が皆無だったので、儀助が著わした『南嶋探検 琉球漫遊記』は貴重なフィールドワークになります。
マラリアに苦しむ離島の暮らしや、重税のことを詳しく記録したからです。
それから、儀助は奄美大島の島司に就任。
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大島郡織物概集
私が「みちのく春秋2021/新春号」に寄稿したのは、青森県立図書館にある笹森儀助著『大島郡織物概集』という本について。
明治時代の大島紬のはぎれが貼ってあるのです。
デジタルアーカイブでパソコンから閲覧可能ですが、実物を見たくて昨年、県立図書館に出かけました。
古びた1冊に、歴史の重みを覚えて、感動しました。
ところで笹森儀助は当時、黒糖の生産を向上させる目的で、島司に派遣されました。
そして、鹿児島の商人が島民に年率3割以上の高利のお金を貸し付けては、借金漬けにしている 事実を掴んだのです。
我、遠遊の志あり: ―笹森儀助 風霜録 (ゆまに学芸選書ULULA)
儀助が歩いた八重山を、取材のため踏破したところなど読み応えがあります。
不正が大嫌いで、庶民へのまなざしが篤い笹森儀助の生涯。
帰郷してからは、青森市の第2代市長と、青森商業高校の校長も務めました。
そういうわけで、コロナ禍と冬ごもりの中、読書に親しんでいます。
やっぱり、本は素晴らしい。
パソコンを凝視するより、本の方が目が疲れない♪
まとめ
みちのく春秋2021/新春号は図書館にて、読むことが可能です。
季刊誌として発刊され、私は4年ほど前から短いコラムを投稿しています。
文学活動に熱心な東北の先輩方のなかに、若輩者の私を加えて下さり、ありがとうございます。
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