耕春山 宗徳寺は赤門から入り、奥に位置しています。
モミジが美しい名所。
また、禅林街の後方には、モダニズム建築の巨匠である前川國男の最晩年の作品・弘前市斎場があるので、建物も見学しました。
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禅林街
杉の木が青い空へ梢を伸ばして、この時期には珍しいくらい穏やかな11月15日。
弘前市の禅林街を散策しました。
道の両側に禅宗のお寺が並んで、弘前藩の歴代藩主や奥方や側室のお墓があります。
一番奥の長勝寺(ちょうしょうじ)には、2代藩主の津軽信牧(つがるのぶひら)公と徳川家康の養女として輿入れした満天姫(まてひめ)、そして3代藩主の信義公の霊廟があります。
今回の耕春山 宗徳寺は、黒門の手前にある赤門をくぐった先。
赤門
ずいぶん前に赤門から入り、お寺で地獄絵を見せてもらったことがありました。
それ以降は、赤門をくぐる機会がありませんでしたが、2019年10月に「忍者屋敷 最後の見学会」に参加したとき、石田三成の子孫である杉山家のお墓をお参りしたのです。
家老職も務めた杉山家。
墓碑には、豊臣の名がひっそりと刻まれていました。
青森大学の清川教授が解説してくださり、楽しくて勉強になる見学会。
江戸初期に弘前藩は、石田三成の遺児2人をかくまって、津軽に落ち延びさせたのです。
宗徳寺は、津軽為信(つがるためのぶ)公ゆかりの由緒のふるいお寺です。
宗徳寺
天気の良い日だったせいか、先客がいました。
じっくり見学されていた方の後ろ姿が映り込んでいますね。
宗徳寺の山門は楼門建築。
そして、お庭がすてきです。
江戸時代は、耕春院と称したとか。
藩政時代は度重なる火災 に見舞われたそうです。
裏庭には、竹林があるとのこと。
それから、話が前後しますが、石田三成の子孫は、代々にわたり杉山姓を名乗りました。
杉山八兵衛吉成は、石田三成の次男の長男。
三成の孫にあたります。
寛文9年の蝦夷反乱のときは、幕命により侍大将として、松前に渡り、蝦夷地(現在の北海道)にて、隠密行動を指揮したと、清川教授から教えていただきました。
その杉山家の墓が、宗徳寺に苔むして建っています。
宗徳寺では、座禅会が火水金土の朝6時半から7時半までの1時間、行われてます。
参加してみたいですね。
長勝寺
耕春山 宗徳寺から近道を通れば、長勝寺はすぐです。
重厚な三門です。
この三門の門前は、春には桜が美しい。
石垣修理のため、曳屋で移動された天守が見えるのは修理している期間だけ。
長勝寺は以前、じっくり見学したので、今回はさらにディープな 茂森を探訪。
三門を出て右手をずっと行くと、前川國男の作品である弘前市斎場があります。
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前川國男の作品
国際的にも有名な建築家であった前川國男。
弘前には、前川が手がけた建造物が八作品も現存しています。
前川國男の母親が、弘前の士族の娘という縁で、弘前市役所や現在の弘前こぎん研究所、市立病院、市民会館、市立博物館も、前川の作品。
建築家の大学生が、前川作品を見学するために全国からやってくると、前に伺いました。
広い敷地にたっぷりと平屋で建築された斎場は日曜日のため、ひっそりとしていました。
とても落ち着いた佇まいと評価の高い斎場です。
前川國男のファンには、欠かせない場所。
この斎場は、ちょっと下り坂に建っています。
途中の駐車場から望む岩木山の美しさに、心奪われました。
「死ねば、お山さ行く」
先祖の魂は山にあるという山岳信仰が、古くから我が国にはありました。
前川國男の思想も感じられるような、そんな風景。
心打たれて、歩きながらふり返った次第です。
太宰治の最初の妻だった小山初代のお墓も、禅林街にあります。
まとめ
禅林街から茂森まで探訪しました。
宗徳寺の山門や長勝寺など、歴史が好きな方には堪らないでしょう。
また、現代建築の巨匠である前川國男が手がけた建築物を大切に保存している弘前。
コロナが収束したら、きっとまたたくさんの旅人が訪れることでしょうね。
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